天満宮祭礼

tenmanguu

天満宮の由来

 燕市吉田地区の天神様は、古来、出世天神と称せられて、祈願すると必ず立身出世が出来るといわれ、祈願の記念として御祭に出ている植木を買い求め植えておくと、その木が成木する頃、自分の願望も成就するという信仰があった為に御祭に植木を買い求める人が多く、従って植木屋も軒を並べて店を張り「吉田の植木祭」の別名さえある。

 そもそも天神様の祭主今井家の祖は、近江の国(現在の滋賀県)に発し、織田信長の浅井・朝倉攻めの際、浅井方に属し、浅井家滅亡の後、岩室天神山の小国氏を頼り、食客として二代余を過ごし、小国氏会津移封を機に、吉田郷へ移り住んだ。

 今井家の当主は、永年、毎月岩室天神山の天満宮にお参りする慣例になっていたが、約二百年位以前(江戸中期)当主がお参りの帰途、児童が西川に流れて来た天神様の御像を拾い上げて遊んでいるのを見、感ずる所があって是を譲り受け、今井家の守護神として屋敷内にお祭りすることになったのである。

 然るに、弘化三年(一八四六年)に、神様を同じ屋敷内にお祭りして置くのは畏れ多いという考えから、今の天神様のお屋敷に御移奉申し上げたのが今日の吉田天満宮である。